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生きること以上に死ぬことを学ばなければならない。―『チベット 死者の書』より

『古楽のたのしみ』バロック音楽の魅力,芸術はもともと暗い

NHKの早朝のラジオ番組『古楽のたのしみ(ひととき、だったかな)』は、高校時代か10代後半の時に気に入ってよく聴いていた音楽番組で、当時、鬱病で、大好きな音楽が、初めて自分にとって支えにならないという驚愕の体験をしていた時でしたが、この早朝のこの番組から流れる古いクラシック音楽は、どこか、暗い気分のときも聴きやすい感じがあり、その体験から、今でも記憶に残っていたラジオ番組でした。

ここ数日で再びラジオを聴くようになったのですが、きっかけはコロナ感染と、恋愛関係のショックな出来事と、ライブを観て陥った自己否定感。年末年始と重なり、世間のちょっと独特の雰囲気に疲れながら過ごした10日間、最後の方にようやく自分の心を癒やすツールとして再発見したのがラジオで、なんとなく他人の声が常に聞こえているっていうのは安心できました。

 

さて、高校時代には、これが『バロック音楽』で、『クラシック音楽の源流』『西洋音楽自体の源流となってるジャンル』『もともとはキリスト教の教会音楽から発祥している』ということを、はっきりと知らずに聴いていましたが、これが、去年から真面目に取り組んでいるバッハの勉強を通して得たバロック音楽の知識のある今の自分がこのラジオ番組を聴くと、ようやく、『ああ、学生時代の自分は暗い気持ちを慰める音楽としてバロック音楽に当時から親しんでいたんだな』ということに気付くことができました。

 

バロック音楽というのは、暗さは特徴だと思います。そう、あらゆる芸術がそうですし、世界中、日本もそうだと思いますが、もともと、芸術、音楽というものは、暗いものなんです。精神的に暗い。

暗いところに同じように暗い姿で寄り添うのが芸術で、というか日本も戦前まではもっともっとダークな芸術が大事にされてたと思います。

戦争によってアメリカから『スマイル』という文化が入ってきて、日本人もやたら笑顔や明るさを大事にするようになりました。

 

バロック音楽の時代はピアノも今の形が確立されていませんでしたし、ヴァイオリンなんかももっと暗くて温かい音色でした。ピリオド楽器と呼ばれる古い楽器たちです。オーケストラも今のような大編成ではなくもっと少ない編成で奏でられていました。

ヴァイオリンについては私も実はちょっと現代のヴァイオリンの音が苦手で、高くて甲高すぎる、と感じます。それに対しピリオド楽器で奏でられたバロック音楽のヴァイオリン(弦楽器)というのは、暗く、あたたかく、どこか寄り添う感じ、心地よい感じがあります。

 

バロック音楽の魅力とはまさにそこで、私は一昨年に体を壊してダンスなどができなくなったことをきっかけにピアノの練習を集中的に行うようになったのですが、(ピアノで体を壊すことはないからです)当時まだ借金もあり、はっきりしない恋仲相手の中途半端な態度に傷付けられる日々で、色々と挫折感を感じていた時でした。そんな時に、クラシック音楽、それもバロック音楽は、唯一、勉強してもいいと思える芸術ジャンルでした。それをきっかけに私は社会人になってから初めてまともにバロック音楽を学び始め、今では大好きなジャンルとなっています。

 

古代からごく最近に至るまでは、実は芸術はもっと暗いものだったし、暗さに暗く寄り添う、本当に救いのあるものでした。

それが今では、娯楽やエンタメと混同されており、意識的に探さないと、なかなか本当に救いとなってくれるような芸術には出会えないです。

 

バロック音楽にしてもピリオド楽器で聴かないと本来のサウンドではないと思うので、ピリオド楽器の奏者の方は本当に人類にとって有意義で歴史の保存という意味でも素晴らしい活動をされていると思います。

 

 

憧れのポニーテールに。バイアスが外れたときに気付けること,療養休職を経た自分のインスピレーションの変化について

2年前に周囲が驚くほどのベリーショートまで髪を切り、

あれからもう一度伸ばす(学生時代以来のロングまで)と決めたきっかけは、ポニーテールに憧れたことでした。

ポニーテールという髪型はいつ、どこで発祥したのかはわかりませんが、おそらく古代から世界中で行われていたヘアスタイルなのではないかと個人的に想像しています。

 

個人的には最近の韓国人のダンサーのイメージ(PSYのバックダンサーなど)で憧れています。

洋画などでもシンプルなポニーテールにした金髪の女性は、快活で、シンプルな雰囲気がとても魅力であると感じます。

 

私は昔から何よりシンプルで普遍的なものを好んでいるのですが、ポニーテールにもそういったシンプルさや普遍性を感じており、ロングヘアなんて学生時代以来なのですが、なんとなく憧れから伸ばし始めて2年。

 

最初は、後ろに結ぶにしてもごく低い位置でしか結べなかったり、さらに短かったときは結べるほどの長さではないため、ヘアピンを使って髪をわざと後ろに持っていったりしないと髪を結ぶことすらできない時期もありました。

 

長さが足りずスタイリングの幅が少ない分、ヘアアクセサリーを様々に用意して気分に合わせて付け替えて、日々の変化を楽しんでいました。

 

今日、ふと仕事中に、コンビニのコーヒーマシンに映る自分の髪型を見て気付いたのです。

『結構伸びたな。もしかしてポニーテールできるんじゃ?せめて結ぶ位置を高くしてポニーテールぽい雰囲気を出すことくらいできるのでは?』

そうして仕事中にさっと髪を結び直すと、

以前まで勝手に思い込んでいた『低い位置』よりもずっと上がった高い位置で髪を結ぶことができ、かなりポニーテールに近付いた(というか、長さの短いポニーテールスタイルが出来た)のです!

 

2年かかって目標に辿り着きました。笑

けっこう、伸ばすと思ってもやっぱり面倒で、日々のブローなどがわずらわしくて再び切ってしまうことはこれまで何度もあり、ボブを超えた長さになること自体、社会人になってからはほぼありませんでしたし、ましてやセミロング程度にまで伸ばすなんて、社会人になってからは初めてのことですが、いつの間にか目標をクリアしていました。

 

『自分は短いから下の方でしか髪を結べない』という思い込みがけっこう長く続いていたのですが、そういうバイアスが突然外れ、試してみたら自分はとっくに目標の長さになれていたことに気付いたのです。!

 

バイアスってやっぱり良くないですね。

自分が既にできていることに気付けなかったりするから。

必要以上に自分は『できない』と思い込むことが私はよくあるのですが、もしかしたらかなりバイアスによるものが多いのかもしれないです。

 

ちなみに今回、コロナ休職を経て、またかつての日常生活に戻ったところ、コロナ感染前の自分とはまた違うインスピレーションが溢れることが多く、いつも通りの日常でも捉え方が変わったりしており、

療養とはいえ10日近くも家に引き籠もっていたのですから、逆に気分転換になったのかもしれません。

ちょうど年末年始でしたし、新しい年になる境界線のタイミングで療養とはいえ休職して休む時間を持てたというのは逆に有意義だったのかもしれません?。

 

目標とするポニーテールは、本当に韓国人ダンサーたちのような、高い位置で結ぶことができてさらにそこからも長く髪が垂れているという長さなので、さらに伸ばしますが、伸ばすことでカラーリングやパーマなどももっと楽しめるようになるので、今年は髪型にももっとお金をかけられるようにたくさん稼げたらいいなと思ってます。(転職を検討中で、また書きます)。

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。

 

 

自分の活動を始めたきっかけ、自分の思想が築かれたきっかけ

別のSNSに書いた内容なんですが、ブログ向けの内容だと思ったので、コピペしてブログにも掲載します。

 

 

あたしは肉体の美しさこそ本物だと信じてこれまで自称『アーティスト活動』をしてきた。全てを凌駕する高い価値のあるものとは、美、それも肉体の美であり、そして性的な美であると信じて活動を展開してきた。

 

どんな有能な人間でも、どんな権力や金、あるいは芸術や芸能的能力に秀でた人間でも、『美しい人間』には敵わない。少し私のその思想のきっかけとなった出来事を話すと、それは高校時代だった。

 

地方の進学校とはいえ厳しい教育をされた。偏差値こそが人生で最も大切で、入る大学の偏差値こそが人生を決めると教育された。ピュアな少女だった私はその洗脳を見事に信じ込んだ。だが成績は振るわず、自己否定感は高まっていった。生まれて初めての鬱病、自殺未遂。

 

クラスメートたちや先生たちにあたしの価値を認めてほしかった。テストの点数だけで人間を判断してほしくなかった。こんなのおかしい、と思い始めた。だけどこの考え方に共感してくれる友人は誰一人おらず、独りで不良になっていった。大好きな音楽が、『人を救わない』と身をもって知ったのもこの頃。

 

美は、何もせずともその価値を語れるということに気付いた。裸はもちろん、たとえ服を着ていても、美しい人間は、その美という価値を、ただ黙ってそこにいるだけで主張することができる。テストの点数は、テストを受けて結果を出して初めて人に伝わるし、何かの能力も、その能力を証明できる何らかの

 

行動を行わないとその能力を証明できない。だが、美は?何もしなくていい。ただ、そこに居れば、生きて居れば(いや、死んでいたとしても!)伝わる。美とはそういった価値があると気付いたのが高校時代だった。

 

ここから、社会人になってトレーニングやヨガにドハマりするきっかけとなる習慣が私の生活に加わる。肉体美のために、毎晩、ストレッチを行うようになったのは高校時代。そして、鬱病の治療も兼ねて独自にランニングを習慣化したのもこの頃。運動とは、美の生成だけでなく、精神的な浄化にもなる素晴ら

しい営みであると学んだのもこの頃だった。また、初めてヌードを自撮りしたのも高校時代だった。性、美、運動の精神的浄化、そのような独自の美や性の価値観を形成していったのも高校時代だった。美の追究とは精神的な営みでもあった。

 

人を魅了すること。人を性的に魅了すること。これは私が幼い頃から意識してきた、人生で最も強く意識してきたことだった。性や、人を魅了したいという願望を持つこと、それらは下品なことではない。古代の記述でも、音楽は、異性を性的に魅了するために奏でられるものだと記述されている。

 

美や性、性欲とは人間本来の、尊い、明るいものであり、清いものである。そのような考えを幼い頃から持ち合わせていた。

 

あたしは2020年4月1日に、ヌードモデル、ポルノアートアーティストと自称し、初めて公に活動を始めた。

 

あれから約3年が経とうとしている。あれほどこだわって、信じて行っていた運動のせいで1年以上身体の痛みを抱えるなど、目も当てられない失敗経験もした。借金問題もあった。今はそれらが全て解決している。新たなステージだ。

 

時々思う。『何も形として生み出していないじゃないか』と。『病的なこだわりなのではないか』と。

私は作曲家のように素晴らしい楽曲は制作できないし、私のピアノの技術なんてたかが知れている。芝居やダンスや歌の技能にしても同じ。私は『何も出来ない』『能力が無い』特にインターネット上で他人

の活動を知るたびに、自分と比較してしまい、自己否定感が高まることはとても頻繁にある。未だにある。

 

だけどその度に思い出したい。あたしが追究していることは、古来からの本質で、人間の本質で、全てを凌駕する高い価値あるものなんだと。その道を立派に歩んでいる私のこの生き様は尊いんだと。

 

私のこだわりは決して間違っていないし、本質であることに変わりはないんだと。

 

あたしにもし『何も生み出していない』と言う人が居たら、こう答えようと思う。『この美しい我が肉体と、人を性的に魅了する天性の才能による他人への計り知れない精神的影響力だ』と。

職場でクラスター発生?

私は12/27にコロナ発症(自覚的に体調不良になった日)し、昨日までお休みを頂いていた(何もできない年末年始だった……)のですが、今日が久々の出勤で、まるで新人のように少し緊張気味に、新たな気分で職場に向かったのですが、なんと私以外に約5人ほどほぼ同時にコロナに感染し休職していたというのです。

これにはかなり驚きました。

そして生き残っているスタッフでもコロナからの病み上がり直後で喉の痛みなどが残る中なんとかお店を回していた、と。

年末年始として休暇を事前に申し出ていた人はたった二人で、うちの職場は年末年始でも結構人材が確保できていたのですが、私合わせて6人ほどコロナ同時発症でもう目も当てられない状態でした。

ちなみにその6人の中にオーナーも含まれています💦オーナーは本当に気の毒ですが、コロナにかかると言い渡される正式な療養期間というのがありますがその期間も休むことができず(人手不足のため)、咳などが酷い中無理をして出勤されていたとのことです。ちなみに本日でもまだ喉の痛みが残り、終始ダウンジャケットを着たまま本当に辛そうに事務所で仕事していました。オーナーが本当に気の毒です。(代わりに復帰した私が今日から頑張って働こうと思います!)

 

コロナ感染ばっかりは予想できないですし、誰もこんなタイミングで自分がかかると思ってなるわけではないですから、本当に仕方のないことなんですが、私としても職場の人手不足をカバーしよう(そして自分の給料も増やそう)と年末年始のシフトは多めに入れるつもりでしたが、コロナ休職となり、自分の給料も減るし、もちろん職場にも迷惑をかけてしまったし本当に残念です。

 

他に感染されていたスタッフの方で、無理をして出勤している方はおられて、喉の痛みや微熱まであるのに本日無理をして出勤されこられていて、やっぱり時給で働いているぶん休むとその分給料も減りますし、その方は主婦の方なのですが、子育てなどもあるので休んでいられないのかと思いいたたまれない気持ちになりました。

 

私自身はもう喉も治りかけてはいるのですが、そのスタッフの方などをはじめ感染された方で私以上に喉の痛みや微熱などが長引く方が結構おられて、自分のことしか見えていなかったときは自分はなんて長期的に苦しんでいるんだろうと思っていましたが、周りを見渡すと私のこの状態はむしろ回復が早い方でした。私の場合、味覚異常や嗅覚異常もありませんでした。(部屋にアロマオイルやハーブティーが常にあるのでそれらの五感の確認はいつでもできました)。

 

今回、身内も含めて、他の感染者のスタッフさんとお話していて初めて知ったのですが、逆に嗅覚や味覚がかじようになるというケースがあるようで、普通の味でもやたら濃く感じて薄めないと食べられない等のことがあるみたいです。

 

今回、私も含め、その周りの方などもそうなのですが、これまで一度もコロナに感染したことがない人や、ワクチンを売っていなかった人がまとめてついに感染してしまったという印象です。

まあ、ワクチンは接種者でも感染しているので、今回の感染をワクチン未接種であるせいと言うつもりはないのですが、コロナウイルス自体を舐めていたことはたしかで、私などはマスク着用せずに働いたり出歩いたりすることもあったのと、まさか普通のインフルなどと違ってここまで喉の痛みが長引くものであるとも知らなかったため、コロナウイルスを舐めていた態度を少しだけ反省しています。今思えば、さまざまに対策を徹底している方々は正解だったと思います。コロナウイルスに自分はかからない、と謎の自信があったときは、真面目な対策者を馬鹿にするような気持ちがあったのですが、今思えば、たしかに対策をしておくことに越したことはないです。特に私のように時給で働いている者にとっては、10日近くも仕事を休むとなると給与に大幅な差が出てしまいます。今のところコロナは療養期間が定められていますし、普通のインフルや風邪などと違って3日程度で治るというものでもないため、そのせいで働けない、また同居者にも休職してもらわなければならないなど影響が計り知れないです。だからやっぱり対策をするに越したことはないと改めて思いました。

 

本当に今回のコロナウイルス迷惑な話で、早く終息してほしいですが、いま行われている第5類?に下げるという話もぜひ良いと思うので、むしろウイルスと共存する方向性で、かかってもそこまで生活に影響が出ないような社会制度に変えていくといいんじゃないかなと思いました。

『コンフィデンスマンJP ロマンス編』

最近、テレビで『コンフィデンスマンJP 英雄編』をやっているのをちらっとだけ見て、面白そうだったのをきっかけに、ネトフリで『ロマンス編』を見ました。(ネトフリではロマンス編しか見られないみたいです)。

 

本当に面白くて、なかなか遊びの精神を人生に加えられない私にとっては、本当に数年ぶりに『遊び』の感覚、何かを純粋に面白いと思ったり楽しんだりする、笑いや遊びのある感覚というのを体験させてくれた素晴らしい映画でした。

 

色々調べてみると、

サントラ(南米風のロマンティックな曲で、魅力的に思いてっきり南米の歌手かなにかの曲かと思っていた)が意外にもオリジナルサントラたった? ことや

脚本家が次のNHK大河ドラマも手掛けている脚本家で他に『相棒』や『リーガルハイ』も手掛けた人であるということ

さらに、ジェシーと氷姫がそれぞれ三浦春馬さんと竹内結子さんという、2020年に相次いで他界された俳優さんであるということを知り

色々とびっくりしました。

 

特にお二方の訃報に関しては、華やかに見える芸能界や映画の世界も、中に入っている人たちは本当に色んなことがあるんだろうなということを思い、あんなに楽しい映画を撮る裏にも実はそれぞれ暗いものを抱えていた(コンフィデンスマンJPロマンス編が2019年の映画なので、これの撮影中ももしかしたら心に闇を抱えておられたのかもしれない)かもしれないと思うとなんとも言えない気持ちになります。

 

とはいえ、とにかく映画自体は本当に私に遊びの精神を思い出させてくれた、楽しむ感覚を思い出させてくれた素晴らしい映画で、コミカルな台詞回しやお芝居もとても良くて、さらにサントラもサブスクで聴けるので私もどこかのシーンを切り取って芝居の真似をしてみようかなと思ってます笑

 

本当にいい映画で、ネトフリにはない英雄編などもTSUTAYAとかで借りて見ようかなと思いました。

素晴らしい映画をありがとう!

 

 

 

久々の更新です。

あけましておめでとうございます。

 

最近、27歳という自身の年齢に対して、一体どのように生きたら良いのかわからず、漠然とした強い焦りを感じることが多く

さらに最近は失恋や、自分の芸術活動に関する悩み、仕事の悩みなども重なり、

いよいよ自分の不安感や自信の無さが本格化しており、ついに『27歳 人生』などと検索をかけたら以下のブログに出会えました。

 


人生の転機は27歳、28歳にある。 - あなかま暮らし

 

これは素晴らしいブログ記事ですね。

まず、私が同年代の友達がいなさすぎて気付かなかったのですが、

27歳というのは、私個人のケースと全く同じように、生き方や仕事や人間関係、恋愛のことで悩む人がとても多い年齢であるらしいのです。

 

まずこれを知れたことがとてもありがたかった。(この記事はコメントは記入できるのかな?できるなら投稿者さんにお礼のメッセージが送りたい)

 

たしかに、仕事もだいぶ慣れてきて、慣れてきたからこそ『これでいいのか?』と不安になってしまうタイミングですし、恋愛においても、独身者は特に焦りを感じるタイミングで、これって社会的に共通した不安のある年齢なんだなと知れただけで少し気持ちが軽くなりました。

 

ですが意外だったのは、他の人生相談サイトなんかを見ていても『27歳は若い』と回答する回答者がとても多いということです。

自分一人で、自分はもう若くないんだと思っているだけで、実は年上の人から見たら自分の年齢でも充分若いんだなと思えて、まだ諦めなくていいんだと思えました。

 

 

 

 

 

デッドリフトができない

ようやくわかったのですが、デッドリフトというのは股関節の【安定性】が求められる種目で、もともと股関節が不安定(ものすごく柔らかい)な私にとっては良い治療種目であった(安定性を身につけることができる)ということです。

 

デッドリフトは背中〜お尻まで真っ直ぐに保たないといけないのです。

そのためにお尻を意外と突き出さないといけないので

  • お尻を突き出す際に反り腰になりがちで(腰痛のフラグ)

それ↑を自覚して反り腰を予防するために

  • 腹筋と背中に力を入れると今度は猫背になって背中の下の方の変な筋肉が痛む

という具合をここ数ヶ月繰り返していたということを

 

ようやく自覚できました

 

ようするにまだまだデッドリフトにおいて正しい姿勢とフォームを取れていないということです。

 

こんなにも姿勢に苦労する種目は生まれてはじめてで、さすがプロの指導を受けているだけありかなり深いところまで分析し試行錯誤を繰り返すようになりました。