磔にされた全裸の男を拝むキリスト教は倒錯的。―音楽の勉強にキリスト教の知識は不可欠―
写真暗くてすみません。昨日読了した本で、バッハの解説本です。
難しくてよくわかりませんでした。世界史の知識やキリスト教の知識がないのに読んでも理解できなかったです💦横文字ばっかりでわからない。
ただ音楽もそれ以外の文化も発端はすべて宗教だし、なにかを理解しようとするなら宗教への理解は不可欠だなと思いました。
宗教的な感覚に関しては私は二十歳の頃に仏教のおかげで鬱病から脱出できた経験があり、その経験がなければ今ほど宗教への理解もなかったと思います。
音楽を根本的に学びたいと思い演奏を学び始めたバッハのインベンションですが、バッハを理解するのにキリスト教の素養は不可欠で、知識はないけど宗教的な感覚は持っているので、自分の過去の経験が今に活きていると感じています。
キリスト教は愛で仏教は慈悲、なんて言われていますね。
キリスト教は裸の男性が磔にされている像に向かってみんなが礼拝します。
これって実は倒錯的ですよね。どう考えても。
西洋には古代から裸を芸術として扱う文化がありますが、それってどう考えてもキリスト教の影響なんですよね。
それに対し日本では裸なんて恥ずかしいもの、見せてはならないものとして、性や裸は隠されてきました。
私は幼い頃から純日本人でありながら何故か裸や性に関してはかなりオープンで、そこに関してキリスト教的なヌードの価値観と私の価値観はとても共鳴していると感じています。
話は逸れましたが、私はこれまでの人生、仏教や神道を中心に親しんできたので、これからはキリスト教にも目を向けて生活していきたいなと思いました。
いつか教会にも行ってみたいです。