LI/GHTS DOWN

生きること以上に死ぬことを学ばなければならない。―『チベット 死者の書』より

愛されるために何かをする必要は無い。そのままで愛される価値がある。魂はみな平等で純粋である。

私が世間一般の価値観や商品広告で打ち出された価値観の中でとくに違和感を覚えるもののひとつに

『だれかに何かをしないと自分には愛される価値がない』

というのがあります。

 

特に男性では、『何かを与えないと自分は愛されない』と思っている人が多いように思います。

また商品広告においては、化粧品やヘアサロンの女性向け広告で『愛されメイク』『愛されカール』などという文句が多用されています。

まるでその化粧品を使わないと男に愛されないと言っているような広告です。

愛されメイクと打ち出された化粧品を購入し、愛されメイクと呼ばれるメイクを行ったところで、男はそんな細かいメイクのテクニックなど見ていません。

 

あまりにも愛が商用利用されすぎていると感じます。

 

人は、なにもしなくても、そのままで愛される価値があります。

 

当たり前のことです。

そもそも私は、『愛される"価値"』という言い方にも違和感がありますが(便宜上そう表記しましたが)。

 

何かをして初めて愛される、ということはありません。

何もしなくてもみなさん愛される価値があります。

だって子供(特に赤ちゃん)は何もしなくても愛されるでしょう。

子供の話はみんな優しく共感をもって、寄り添って聞くし、子供に話し掛けるときは優しい猫なで声になったり、子供に合わせた言葉遣いをしたりとにかく優しいですよね。

 

なぜ大人は子供みたいに優しくされないんでしょうか?

 

大人だって子供と同じ。

ただ年齢を重ねて体がでかくなっただけで、

ひとはみな平等で、年齢や見た目など無関係です。

子供だから優しくされる,愛される価値があり、大人は優しくしなくてもいい,愛さなくてもいいということはありません。

 

私はコンビニで働いていますが、

大人、子供、高齢者問わず、みんなに優しく接客しています。

大人にも子供相手のように優しく話しかけます。

みな平等だと知っているからです。

 

あまりスピリチュアル的な胡散臭い言い回しはしたくないのですが、

みな同じ魂です。

あくまでこの地球の人間社会において、歳を重ねたというだけで、

魂レベルで考えると何回も何回も(何百回も)転生を重ねてみんな今この地球にいて、年齢などもあくまでこの地球の人間社会において『何歳』と決められているだけのことです。

 

むしろ『魂の年齢』の話をすると、

(魂の年齢は過去世の経験値や転生回数によって決まると思います)

個人同士を比較するなら、ある大人がある子供よりも魂の年齢が低い、ということもあると思います。

 

本質的な話をすれば年齢なんて無関係でみんな同じ純粋な魂です。

肉体は借り物で、死とともに手放すだけの、この地球において魂を覆う容器にすぎません。

 

肉体や社会を基準にして、

人の上下関係や優劣を決める考え方は私は大嫌いです。

 

特に私はヌード表現をしているアーティストですが、人の本質的な平等さというのはいつも意識して表現しています。

 

本質的な姿ということで自身の裸体を晒しているというのもあります。

私は何事においても『本質』を見極めるが好きです。

 

年齢や見た目にとらわれず、私はその人の本質、魂だけを見てあげることを意識していつもコンビニで接客しています。

 

どうかこの人間社会の上下関係、子供や大人などという枠組みにとらわれない、みんな実は平等なんだという価値観が広まってくれるといいなと思います。