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生きること以上に死ぬことを学ばなければならない。―『チベット 死者の書』より

借金のデメリット―何を失うか 【Ⅰ.自由】

借金の体験(クレジットカードのリボ払い)について書きます。

これは今後の自分への戒めも込めて書きます。

 

題:借金したら何を失うか

(返済生活中に失い続けているものは何か)

 

①自由(行動、選択の)

です。企業などでもそうですが、借金返済中は新規の事業に手を付けられず、既存の事業だけでやっていくしかないというのがあります。個人においても全く同じで、収入の大半もしくは一部を借金返済に持っていかれるので、自分の手元に残る金が減り、自分が取れる行動や採れる選択がかなり限定的なものになります。

 

何より自由を好む私にとってこれはかなり苦痛で、だから真面目な返済生活に切り替えるまで時間がかかりました(それまでは月に五千円や一万円だけの返済でした)。

 

私がしたい行動、音楽やダンスのレッスンやその他のレッスンや講座を受講することなど、やりたいことはたくさんあり、それはすべてお金がかかることですが、それらに充てられるお金がない。

さらに、それだけでなく、欲しい物や自分の生活に取り入れたいもの、行きたい場所への交通費なども、用意することができません。

 

借金返済中はまさに不自由で、縛られた生活です。

 

金の縛りくらい何だ。

誰もあたしの心の自由は奪えないでしょう。

 

そう思ってました。

 

心の自由と金の自由は違う

精神の自由と物理的な自由は違う

 

物理的、経済的に縛られていても

あたしは自由でいられる

 

そう思ってました。

 

その望んでいた精神的自由は、実現できませんでした。

お金の自由を奪われた生活、極端な節約生活(ほぼ生活品をDAISOに頼り、仕事以外では交通費の節約のためどこにも出掛けない生活です。人付き合いにかけられるお金もなく、人とちょっと会うときのお茶代も用意できないので新しい友達ができたときも関係を維持できなかったです)というのは

やはり心の自由、心の余裕をも蝕みました。

遊び心、心のゆとりのない生活を送ることになりました。

 

お金の自由を奪われると心のゆとりがなくなる

ということに気づけたのは、返済生活に入って1年半くらい経ってからでしょうか。

最初はずっと、金の不自由くらい何だ、と意気がっていましたが、

結局、極端な節約生活というのは心の余裕もそのまま失うし、神経質で他人への当たりのきつい人間になるだけなんだと学びました。

 

節約の仕方もかなり模索,悪戦苦闘しました。

どの程度の節約がいいのか?

極端な節約はつらいし、ほどほどの節約レベルに抑えたいけど、もともと収入も少ないのに「ほどほど」なんて言ってられないし……そんな葛藤とずっと闘いました。

最終的には数ヶ月ほど極端な節約生活をしてまとめて返済しましたが、節約の仕方もものすごく模索させられた日々でした。(また改めて記事に書きます)。

 

自分の自由を奪うようなこと(借金)はしちゃいけない。

そう思いました。

企業など大きな単位での借金は企業判断ですしそれについて私は何も言えませんが、個人における生活費や買い物などのための借金は本当にしてはいけません。むしろ返済生活の経験者として、未経験の人に対して借金の危険性や、いかに自分の自由が蝕まれるかということを啓蒙する使命すら感じます。

また借金をすることについての感情や基準なども記事にしようと思います。

 

ここまでお読みくださりありがとうございました。